おらーほだより9月号
おらーほ便り
東京もすっかり秋になりました。
もうゾンタハウスではストーブが登場しているようです。
大学の秋学期は夏の様々な活動の振り返りとまとめ、そして報告や次年度への計画などでてんやわんやの日々です。
特に、夏休みに参加した、ゾンタハウスの活動の振り返りは全3回を使って、震災から8年目の夏の山田町の復興と丸7年を迎えるゾンタハウスの取り組みを学生たちが共有し、自分たちの滞在中にできたこと、しなければならないと思いながらできなかったこと、次回の支援の課題などを多様なグループで話し合いました。
特に3年生に伝えきれていなかったことが、被災地支援の意味を3年生が実感できなかったことを4年生が反省し、12月以降の取り組みに生かそうとまとめていました。
震災から8年目を迎えている被災地の支援のむつかしさを共有するには時間が必要です。
これから作られていく報告書やまとめに反映されていくことを期待したいと思います。
なお11月3~4日は東洋大学白山祭で森田ゼミの学生たちが被災地支援の発表をします。
お時間のある方はどうぞお立ち寄りください。
今年はサマーレスパイトでかかわりの深いシングルマザーズフォーラム福島の子どもたちが継続して作っているお米、じゃがいも、さつまいもを学生たちの研究発表会のブースで特別販売します。
学生たちの夏の訪問報告は次回の便りに掲載させいただくことにして、今月は1年間ご無沙汰だったおらーほの責任者の佐藤恵理子さんの「ただいま」の記事です。
大病に立ち向かわれた恵理子さんがまた、ゾンタハウスの子どもたちにやさしいまなざしを注いでくださっています。
心から「おかえりなさい!」の合唱を贈りたいと思います。
こども福祉研究所理事長 森田明美
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おらーほ便り9月号をお届けします。
(おらーほ7年0か月目、震災から7年7か月)
こんにちは。佐藤恵理子と申します。半分になりましたが、一応戻って、きました。もう忘れてしまったかな?
先生方のお陰で、週3日、会計などをすることになり、リハビリ方々、通ってきています。
8月に脳出血で入院して、9月につくばへ転院。2月になったところで、娘の家へ。豊島病院と虎ノ門病院で、左副腎腫瘍、原発性アルドステロン症とわかり、それをとって、やっと、7月ごろに、山田へ。1年近く、うちを開けていたわけです。(いろんなことがあり、今に至るというわけ)
で、おらーほをかかないか?と、いわれ。右半分は、生まれたばかりの赤ん坊が、車いすをつかって、足はどうにか動かせるようになり 、右手はまだまだだけど、少しずつ良くなってきている。でも、おらーほは??山田のことでもいいと言われ、それなら、なんとかなるか・・・と、引き受けました。
山田は、ぐいーんと、私の右半分より、もっとぐいーんと、変わりつつあります。山田中学の近くは、病院、警察、消防署、とたち、新しい住宅。見慣れない道路をぬけると、また、別の土地。もう、前はどうだったろうとか、そういうことは、別次元。
ゾンタのちょっと近くでは、銀行が立ち並び、スーパーができ、復興住宅ができています。
私のうちのまわりも、堤防と道路が、少しずつわが家へ、近づいています。宮古へ行く道も、ずっと近くなりました。
山田の港の景色を鈴木さんが、ぐる っと見せてくれました。なんか、別の町のような、そんな雰囲気。
私が、右半分こわれっちゃったのと、山田が新しい町に代わるのと、なんか、何かが、壊れて何かができれば、それはそれで、いいのかもしれない。
半分が、まったく違った別のことを引き連れて、やってくる。さあ、私が、老けておいぼれになるか、若さをくしして、まったく別の自分を手に入れるか。結構、ギリギリの線だけど、これはこれで、面白いかもしれない。
鈴木さんと湊さんは、親切にしてくれます。会話には、毎日、いろいろな大切なことを教えられ、笑いいっぱい。もちろん、忘れっぽいことや、出来ないことばかりだけど・・・
こんな自分でも、何とかして げようと、思ってくれた先生方に、感謝をこめて。(佐藤 記)